なぜ、生きているのか。
自分は、どう生きるのか。
その手がかりを探し求める旅が「学ぶ」ことではないでしょうか。
では、学ぶために必要なものとは何でしょう。
最新鋭のマシンや最先端の設備、数万人が行き交うキャンパスでしょうか。
高野山には、そうしたものはありません。
けれども高野山には、大自然と悠久の歴史、
幾重にも重なり合った豊かな文化、そして密教の教えがあります。
高度情報化やボーダレス化が進む時代にあっても、そこだけは守られてきた聖地。
弘法大師空海が開いた、唯一無二のこの場所でしかできない学びが経験できます。
今から1200年ほど前のこと。
弘法大師空海は、「仏法僧(ぶっ・ぽう・そう」と啼く鳥の声を耳にします。
そして覚りの境地を表した一遍の詩を詠みました。
鳥の声、人の心、空に浮かぶ雲、流れる水にいたるまで
すべてが大きな「いのち」のつながりの中で生き、生かされているのだと。
弘法大師空海がそうであったように、大自然の中に身を置き、
じっくりと、ゆっくりと、自分と語らい学んでいく。
高野山大学には、学ぶ幸せがあります。
平安時代の初めに、国の安泰、世界の平和を願い、真言密教の修禅道場として弘法大師空海が開いた高野山。1200年を過ぎた今もその教えが息づき、多くの人がお参りに訪れます。
高野山を初めて訪れた人は、国際色の豊かさに驚くことでしょう。「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録され、貴重な建造物や文化財が現存するこの山には、世界中の人が行き交います。国や宗教を超えて人々を魅了する国際都市でもあります。
実は高野山と世界のつながりは、1200年前から始まっています。中国の唐で学んだ弘法大師空海がこの山を開いて以降、世界の多様な文化と交流を続けています。弘法大師空海は密教を尊びながらも、ほかの宗派や儒教なども評価していました。高野山は互いの文化を理解し尊重する、真にグローバルな一大都市なのです。
真の国際人であった弘法大師空海は、優れた教育者でもありました。日本で初めて身分を問わず、学問を志す民衆のための学びの場として「綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)」を京都に創設しました。これが高野山大学の源泉です。1886年に創設された高野山大学は、弘法大師空海が説いた「あらゆるいのちの営みを尊び、それぞれの価値を認める教え」を教育の理念とし、130年以上の歴史を紡いできました。今も変わることなく、人を支え、地域を支える人材を輩出しています。
高野山は、ひとつの山の名前ではありません。1,000m級の8つの山々に囲まれた山上の盆地を指します。蓮の花のような地形をした標高800mにあるこのまちでは、平地とはまったく異なる自然の営みを感じることができます。みずみずしい春の新緑、夏は避暑地のようにひんやりと涼しく、秋は目を見張るほどの紅葉、冬には銀世界に覆われます。五感のすべてを動かし、自然の厳しさと美しさをありのまま感じることができます。
何より、澄んだ空気の中で見上げる満天の星空。宇宙に存在するかけがえのない「いのち」としての自分自身を、確かに感じることができるでしょう。あらゆるものには「いのち」があると説く弘法大師空海の教えが、静かに心の中に入ってくるのではないでしょうか。
高野山では歴史や文化と同様に、森林や自然環境も長く人の手で大切に守られてきました。それが最もよくわかる場所が高野山の中心にあります。弘法大師空海の御廟まで続く「奥之院(おくのいん)」の参道です。弘法大師空海の近くでの救済を願うたくさんの供養塔や慰霊碑と共に、空にまで届こうかというほどの巨大な杉の老木が並びます。悠久の時を生きるいのちと向き合いながら、なぜ生きているのか、どう生きるのかを考えていく。高野山のすべてが、幸せな学びの場です。
「南山の松石は看れども厭かず。南嶽の清流は憐れむこと已まず」(『性霊集』巻一)-高野山の自然の風光は美しく、いくら見ても飽きることがない、また山の清流は涼やかで、愛しさばかりが募ってくる-弘法大師が仏道修行の地として巡りえた高野山を著した言葉です。
大師の教育に対する考え方の根本には、高野山をはじめとする山野等での禅定体験を通じて深められた密教の教えがあります。そもそも仏教では自然環境の中で人類を含めた動物・植物等の「いのち」の在り方を、太古よりの宇宙的な生命の営みとして「縁起の理」によって解釈してきました。大乗仏教では因縁の和合によって生じたこの世のすべてのものは本質的に無自性で空であると考えます。これに対し密教では、この世に存在するものは孤立し、固定し、独存しているのではなく、むしろ無限のネットワークによって結びついていると肯定的に捉え、この宇宙的な生命の営みを、物心一如の洋々たる法身・大日如来の仏の世界として教えています。それが融通無礙の曼荼羅世界です。この世のすべてのものは大日如来の現われであり、それぞれにかけ替えのない存在価値があり、この世には何一つとして無駄なものはないということです。
本学は弘法大師の教育思想を建学の精神とし、価値観の多様性を基礎に置く密教の英知に基づいて、すべての「いのち」の営みを尊び、人間と自然環境との調和と共生をはかり、異文化を理解し、広く社会に貢献できる、人間性豊かで創造性あふれた人材の育成を教育理念とします。そのキーワードが「いのち・文化・創造」です。
真言密教とは、即身成仏とは何かを説き、その修行方法を具体的に有する仏教の一宗派です。人々の苦しみの原因を知り、即身成仏へ人々を導く者、それが高野山大学の育てる人材です。在家であるとか、寺院に生まれたとか、そうしたことは一切、前提ではありません。
「社会のためになりたい、弱い立場にいる人を助けたい」という、あなたが生まれてから、おのずと心をわき立たせる、とてつもなく強い思い。それは、大師の「あまねく衆生を救う」と等しい意思であり、そうした意識を潜在的に持つすべての人に、あるべき教えです。その人を救ける方法こそが、「即身成仏を志す」ことなのです。
本学は、大師が生涯をかけて伝え広めた密教を、学び実践する場所です。それは必ずしも、「僧侶になる」という方法だけで実現することではありません。即身成仏の教えに触れ、その実現こそが人生最大の目的であること。安心、豊かさ、幸福など、全てが満たされてあるものとは何か?に気づくこと。それが、ここに来る本当の意味です。そして、それを後世に伝える。それこそが高野山大学の役割なのです。